「先生、この子にとって何が幸せなんでしょうか?」
診察室で、涙を溜めた飼い主様からそう問いかけられるたび、私は言葉に詰まることがあります。 獣医師としての知識を総動員すれば、医学的な「最善」を答えることはできます。しかし、それがその子と飼い主様にとっての「正解」かどうかは、また別の話だからです。
私の自宅には、17歳になる老猫がいます。 人間の年齢で言えば80代半ば。かつてのように部屋中を駆け回ることはなくなり、一日の大半を窓辺のベッドで寝て過ごしています。腎臓の機能も少しずつ落ちてきており、日によって食欲にもムラがあります。
彼の背中を撫でながら、私もまた、皆さんと同じように悩みます。 「嫌がる薬を無理に飲ませてまで、数値を維持することに意味はあるのか」 「寝てばかりいる彼は、今幸せなのだろうか」
「QOL(Quality of Life=生活の質)」という言葉。 獣医療の現場でも頻繁に使われるようになりましたが、これほど重く、そして形が見えにくい言葉もありません。
この記事では、獣医師として、そして一人の迷える飼い主として、私が17歳の愛猫との暮らしの中でたどり着いた「QOL」に対する考え方をお話ししたいと思います。 医学的な定義の解説ではありません。老いていく愛猫との向き合い方に迷うあなたの心に、小さな「判断の軸」を残せれば幸いです。
QOLとは何を指す言葉か
まず、「QOL(生活の質)」という言葉の輪郭を、少し柔らかく捉え直してみましょう。
教科書的に言えば、QOLとは「生命の質」や「生活の質」と訳され、身体的な苦痛がなく、精神的にも満たされた状態を指します。 しかし、老猫と暮らす私たちにとって、この定義は少し抽象的すぎます。
私は、老猫におけるQOLを「その子が『自分らしく』いられる時間の総量」だと捉えています。
「生きている」と「暮らしている」の違い
心臓が動いていて、呼吸をしている。それは生物として「生きている」状態です。 しかし、私たちが愛猫に望んでいるのは、ただ心臓を動かし続けることだけではないはずです。
- 大好きな日向ぼっこをして、気持ちよさそうに目を細めること。
- 飼い主さんの帰宅に気づいて、「ニャー」と甘えた声を出すこと。
- お気に入りのカリカリを食べて、満足げに顔を洗うこと。
- トイレを自分の力で済ませて、スッキリした顔をすること。
こうした、その子が好きだったこと、その子らしさを形作っていた日常のささやかな瞬間。これらが積み重なって「暮らしている」という実感が生まれます。 QOLが高い状態とは、検査の数値が良いことではなく、こうした「ご機嫌な時間」が1日の中でどれだけ多く確保されているか、ということなのです。
逆に言えば、どんなに検査数値が改善したとしても、痛みで動けなかったり、恐怖で震えて隠れてばかりいたり、大好きな飼い主さんを警戒するようになってしまったりしたら、それはQOLが高いとは言えません。
「治療」は手段であり、「QOLの維持」こそが目的です。 この順序が逆転していないか、私たちは常に問い続ける必要があります。
なぜ老猫ではQOLが重要になるのか
若い猫の病気であれば、治療の目標は明確に「完治」です。一時的に辛い手術や入院をしてQOLが下がったとしても、その先に「元通りの元気な生活」が待っているなら、頑張る価値があります。
しかし、老猫のケアは前提が異なります。 老いは病気ではなく、不可逆的な変化です。どんなに優れた獣医療でも、17歳の体を5歳の頃の状態に戻すことはできません。
「残り時間」の密度を考える
高齢期に入ると、残念ながら残された時間は無限ではありません。 その限られた時間の中で、苦痛や我慢の時間を増やすのか、それとも穏やかで満ち足りた時間を増やすのか。この選択の重みが、若い頃とは比べものにならないほど大きくなります。
例えば、慢性腎臓病の治療。 毎日動物病院に通って点滴をすれば、確かに数値は下がり、寿命は数週間、あるいは数ヶ月延びるかもしれません。 しかし、その子が極度の病院嫌いで、移動のたびに失禁し、帰宅後も半日隠れて出てこないとしたらどうでしょうか。 延びた寿命のほとんどが「恐怖とストレスの時間」で埋め尽くされてしまうなら、それは本当にその子のためになるのでしょうか。
老猫におけるQOLの追求とは、「長さ」よりも「深さ」や「質」を重視するという、価値観の転換でもあります。 これは決して諦めではありません。愛猫の「今」を最大限に守ろうとする、積極的な愛情の選択なのです。
延命とQOLは対立しない
よく「延命治療か、QOLか」という二項対立で語られることがありますが、私はこれらを完全に切り離して考える必要はないと思っています。 QOLを大切にすることは、必ずしも治療を放棄して死期を早めることではないからです。
バランスの調整点を探す
大切なのは、0か100かで決めないことです。
「点滴をしないと死んでしまうけれど、毎日通うのは可哀想」 そう悩んだとき、選択肢は「毎日通院して無理やり生かす」か「治療をやめて見守る」の2つだけではありません。
- 「自宅で点滴ができるように練習して、通院ストレスをなくす」
- 「毎日はやめて、調子が悪そうな時だけ通院する」
- 「点滴はやめて、美味しいご飯と水分補給だけに切り替える」
このように、グラデーションの中で「その子にとっての妥協点」を探すことができます。
「快」を増やすことも医療
また、QOLを高めるための医療もあります。 例えば、関節炎の痛み止めを使うこと。 根本的な老化は治せませんが、痛みを取り除くことで、またキャットタワーに登れるようになったり、食欲が戻ったりすることがあります。 吐き気止めを使って、気持ち悪さを取ってあげることもそうです。
「治す」ためではなく、「楽にする」ための医療。 これらを上手に使うことで、結果として穏やかに寿命が延びる(延命できる)ことも多々あります。 QOLを最優先に考えた結果、穏やかな時間が長く続く。それが老猫ケアの理想形ではないでしょうか。
17歳の猫と暮らして変わった価値観
ここからは、獣医師としてではなく、一人の飼い主としての本音をお話しします。 正直に告白すると、17歳の愛猫と暮らすようになるまで、私はどこかで「数値」を信仰していました。
検査データを見て、「BUN(尿素窒素)が下がったから良くなっている」「体重が維持できているから順調だ」と判断していました。 しかし、自宅での愛猫の姿は、数値だけでは決して測れないことを教えてくれました。
獣医師の私と、飼い主の私

ある時期、愛猫の食欲がガクンと落ちたことがありました。 獣医師としての私は考えます。「強制給餌をしてでも栄養を入れるべきだ」「点滴の量を増やすべきだ」と。 しかし、飼い主としての私は躊躇しました。 口をこじ開けられるのを嫌がり、私の顔を見るだけで逃げるようになった愛猫を見て、心が折れそうになりました。
その時、ふと気づいたのです。 「私はこの子の数値を良くしたいのか? それとも、この子と笑って過ごしたいのか?」
私は、嫌がる治療を最小限に減らすことにしました。 栄養バランスの良い療法食ではなく、彼が昔から大好きだった(でも腎臓にはあまり良くない)カツオのおやつをトッピングしました。 すると彼は、久しぶりに目を輝かせて完食し、満足げに喉を鳴らして私の膝に乗ってきました。
その温もりを感じた時、私の肩から重い荷物が降りた気がしました。 検査数値は多少悪くなるかもしれない。でも、「今日、この子が美味しくご飯を食べ、安心して眠れた」という事実があれば、今日は100点満点だと思えるようになったのです。
正解は、教科書や論文の中にはありませんでした。 目の前の愛猫がリラックスしている表情、穏やかな寝息。それだけが、私の選択が間違っていなかったと教えてくれる唯一の答えでした。
飼い主にとってのQOLも大切
老猫のQOLを語る上で、忘れてはならないのが「飼い主自身のQOL」です。
「この子のために、私が我慢すればいい」 真面目で愛情深い飼い主様ほど、そう考えてご自身を犠牲にしがちです。 睡眠時間を削って夜泣きに付き合い、高額な医療費のために自分の生活を切り詰め、旅行も外出も諦める。 その献身は素晴らしいものですが、飼い主さんが疲弊し、笑顔を失ってしまっては、元も子もありません。
幸せは伝染する
猫は、飼い主の感情を敏感に察知する生き物です。 あなたが眉間にシワを寄せて、ため息をつきながら行うケアは、猫にとってもストレスになります。 逆に、あなたがリラックスして、笑顔で「いい子だね」と撫でてくれる時間は、猫にとっても最高の安心材料になります。

「猫と飼い主はセット」です。 どちらか一方が犠牲になる関係は、長くは続きません。 介護に疲れたら、半日だけペットシッターに預けて休んでもいい。 治療費が負担なら、無理のない範囲の治療プランに変更してもいい。
「私が幸せでいることは、この子の幸せにもつながる」 そう胸を張って思ってください。 獣医師として断言しますが、飼い主さんの笑顔は、どんな高価な薬にも勝る特効薬です。
このブログで伝えたいこと
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 老猫のQOLについて、私がたどり着いた考えをお話ししてきました。
最後に、これからの愛猫との時間を過ごす上で、心に留めておいてほしい「判断の軸」をお伝えします。
迷ったときは、自分にこう問いかけてみてください。 「その選択は、この子の『今日の笑顔』につながっているか?」
未来のために今を犠牲にするのではなく、今の心地よさを積み重ねていくこと。 医学的な「正解」を探すのではなく、その子だけの「納得解」を見つけること。
17歳の愛猫と暮らす私も、いまだに毎日迷います。 「本当にこれでいいのかな?」と不安になる夜もあります。 でも、翌朝、愛猫が日向ぼっこをしながら気持ちよさそうに伸びをしている姿を見ると、「まあ、これでいいか」と思えるのです。
老猫介護に、万人に共通する正解はありません。 だからこそ、あなたが愛猫を想い、悩み、選んだその道は、すべて間違いではないのです。
どうぞ、肩の力を抜いて。 愛猫の寝顔を見ながら、今日という一日を穏やかに過ごせますように。 その積み重ねが、きっとお互いにとって最高のQOLになるはずですから。
老猫のQOLを考えることは、介護の方法を決めることではなく、「どう一緒に暮らしたいか」を考えることだと思っています。
この考え方は、介護に迷ったときや、疲れたときにもきっと役に立つはずです。





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