老猫と暮らすと、生活の時間の流れが変わる──穏やかさを選ぶということ

冬の柔らかな日差しが、リビングのラグの上に長く伸びています。 その光の先に、私の愛猫が丸まっています。

彼女は17歳になりました。 人間の年齢に換算すれば、もう80歳を優に超えているおばあちゃん猫です。

獣医師として多くの動物たちと向き合ってきましたが、自宅に戻れば、私もひとりの飼い主です。 特別なことは何も起きません。 ただ、彼女が寝息を立てている。時々起きて水を飲み、また眠る。 そんな静かな時間が、淡々と過ぎていきます。

大きな病気をしているわけではありません。 けれど、ここ数年で、私たちを取り巻く空気の色が変わったような気がしています。 それは「老い」という言葉だけでは片付けられない、もっと深くて、静謐な変化です。

今日は、17歳の彼女と暮らす中で私が感じている「時間の流れの変化」と、そこで選び取ってきた「穏やかさ」について、少し書いてみようと思います。


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老猫と暮らすと「時間の流れ」が変わる

若い頃の彼女との生活を思い返すと、それはまるで少し早回しの映画のようでした。 カーテンレールに飛び乗るのをハラハラしながら見守ったり、おもちゃを追いかけて部屋中を走り回る足音に笑ったり。 「次はあのおもちゃを買おう」「今度の休みにはキャットタワーを新調しよう」と、私たちの視線は常に「未来」や「変化」に向いていたように思います。

それが今、老猫との生活においては、時計の針がゆっくりと、重みを持って動いているように感じます。

朝、彼女がベッドから降りるまでの時間が、少し長くなりました。 ご飯を食べるスピードも、ゆっくりになりました。 以前なら「早く食べてほしいな」と時計を気にしていた場面でも、今は不思議と、彼女が一口ずつ噛みしめるリズムに合わせて、私自身の呼吸も整えていることに気づきます。

効率や予定通りに進むことが、それほど重要ではなくなっていく感覚です。 何かができなくなった、何かが減ってしまった、と嘆くこともできるかもしれません。 でも、今の私には、それが「静けさが増した」というふうに感じられるのです。

激しい波が引いて、凪いだ海を眺めているような。 老猫と暮らすということは、そんなふうに、世界のリズムを少しだけスローダウンさせることなのかもしれません。

老猫との生活は「何も起きない日」が増えていく

15歳を過ぎた頃からでしょうか。 ふと、「今日は何も起きなかったな」と一日を振り返ることが増えました。

若い猫と暮らしていると、良くも悪くも毎日何かしらのイベントがあります。 いたずらをした、新しい芸を覚えた、吐き戻して慌てた。 そういった起伏が、生活の彩りでもありました。

老猫との暮らしでは、その起伏が緩やかになっていきます。 一日中、ほとんど同じ場所で寝ている。 トイレと食事以外、大きな動きがない。

最初のうちは、この「何もなさ」に戸惑いました。 「こんなに寝てばかりでいいのだろうか」 「もっと刺激を与えた方が、ボケ防止になるのではないか」 そんな、漠然とした不安が胸をよぎることもありました。

この不安の正体は、おそらく「何もしないこと=衰退」と捉えてしまう、私たち人間の焦りなのかもしれません。 あるいは、静けさの向こう側に、いつか来るお別れを無意識に予感してしまうからなのかもしれません。

けれど、最近はようやくこう思えるようになってきました。 「何も起きない」というのは、決して悪いことではないのだと。

痛みもなく、苦しみもなく、ただ安心して眠っていられる。 それは、彼女が今の環境に満たされているという証拠なのかもしれません。 トラブルがない平穏な一日が、真珠の粒のように連なっていく。 老猫との暮らしにおいて、この「何も起きない日」こそが、最も贅沢な贈り物なのだと感じています。

老猫の「何も起きない日」については、以下の記事で詳しく記載しています。

穏やかに暮らすことは、何もしないことではない

「穏やかに暮らす」というと、何もせずただ放置しているように聞こえるかもしれません。 でも、私の中での感覚は少し違います。 手を出しすぎず、でも目は離さない。 「見守る」という行為の解像度を上げていくような感覚です。

たとえば、寝ている時間が長いからといって、無関心でいるわけではありません。 「今日は昨日より、少し呼吸が深そうだな」 「お水を飲む回数が一回多かったな」 「窓辺の日向へ移動する足取りが、少し軽やかだな」

そんな微細な変化を、静かに受け取ること。 それが、今の私にとってのコミュニケーションです。

若い頃のように、猫じゃらしを振って反応を引き出すような動的な関わり合いは減りました。 その代わりに、彼女が心地よいと感じる室温を保ったり、登りやすいように段差を減らしたり、彼女の世界のノイズを取り除くような「静的な関わり合い」が増えました。

これを老猫QOL(生活の質)と呼ぶのは、少し大げさかもしれません。 医学的な管理というよりは、もっと感覚的な、「彼女が機嫌よくいられるための空気づくり」に近いものです。

何かをしてあげることだけが、愛情ではない。 ただ側にいて、彼女の平穏な時間を邪魔しないこと。 その静かな選択が、今の彼女にとって一番の心地よさなのかもしれません。 行動の量は減っても、彼女を想う意識の密度は、むしろ濃くなっている気がしています。

獣医師である私が、老猫との生活で大切にしている考え方

私は獣医師という仕事をしていますが、自宅で彼女と向き合うときは、ただの「心配性な飼い主」に戻ります。 知識があるからこそ、逆に不安になることもあります。 「この症状は、もしかして……」と、悪い想像が頭をよぎることだって一度や二度ではありません。

そんな私が、一飼い主として、老猫との生活で大切にしている考え方がひとつだけあります。 それは、「正解は猫ごとに違うし、その時々でも変わる」ということです。

教科書的な正解はあります。 定期的な検査、適切な食事管理、環境の整備。 もちろん、これらはとても大切です。

でも、17年という長い時間を共に生きてきた彼女にとっての正解が、必ずしも医学的な正解と一致するとは限りません。 嫌がる検査を無理に受けさせることで、彼女の穏やかな時間を削ってしまうかもしれない。 逆に、少し頑張って治療することで、その後の穏やかな時間が増えるかもしれない。

その天秤は、常に揺れ動いています。 そして、その揺れに迷うこと自体が、老猫の飼い方、もっと言えば「老猫との付き合い方」そのものなのだと思うのです。

専門家としての知識は、あくまで選択肢を広げるための道具に過ぎません。 最後に何を選ぶかは、彼女の表情や、日々の空気感が教えてくれる気がします。 「今は、そっとしておいてほしい」 「今日は、ちょっと甘えたい」 そんな彼女の声なき声に耳を澄ませること。 正解を探して焦るのではなく、「今の彼女にとっての心地よさ」を一緒に探していく姿勢を大切にしたいと思っています。

老猫との暮らしは、飼い主の生活も穏やかに変えていく

不思議なもので、彼女に合わせて生活のペースを落としていると、私自身の生活も少しずつ変わってきました。

以前は、休日も予定を詰め込み、何か生産的なことをしなければと焦っていた自分がいました。 でも今は、彼女が日向ぼっこをしている横で、ただ本を読んだり、コーヒーを飲んだりするだけの時間に、深い充足を感じるようになりました。

「急がなくてもいい」 彼女の寝顔を見ていると、そんなふうに言われている気がするのです。

以前は、彼女に対して「もっと長生きしてほしい」「いつまでも元気でいてほしい」という強い期待を抱いていました。 それは愛情の裏返しではありますが、同時に、自分自身の執着でもあったように思います。

今は、過度な期待を手放せるようになってきました。 「来年の桜も見ようね」と願う代わりに、「今日の夕日も一緒に見られてよかったね」と思えるようになりました。 未来の不安を数えるよりも、今日という一日が無事に終わることに感謝する。 老猫 穏やかな時間は、そんなふうに、私の心のかたちまで、少し丸く削ってくれたのかもしれません。

「今日も同じ」であること。 それが、どれほど奇跡的で、ありがたいことか。 老猫との老猫 暮らしは、私に「足るを知る」という感覚を、言葉ではなく肌感覚として教えてくれているようです。

このブログ「老猫QOL研究所」で伝えていきたいこと

このブログ「老猫QOL研究所」は、私が獣医師として教壇に立つ場所ではありません。 また、最新の医療情報や、長寿の秘訣といったノウハウを提供するだけの場所にするつもりもありません。

インターネットで検索すれば、正しい医療知識や、便利なケアグッズの情報はたくさん出てきます。 それらはとても有益です。 でも、老猫と暮らす私たちが抱える、言葉にならない不安や、迷い、あるいはふとした瞬間に感じる寂しさを、静かに共有できる場所は意外と少ないのではないかと感じていました。

「このままでいいのだろうか」 そう感じているのは、あなただけではありません。 獣医師である私自身も、日々悩み、迷いながら、彼女との時間を過ごしています。

ここでは、そんな私が日々感じていること、考えていることを、飾らずに綴っていきたいと思います。 不安を煽るのではなく、かといって無理にポジティブに励ますのでもなく。 ただ、「こういう考え方もあるんだな」「この選択でもいいのかもしれないな」と、読んでくださった方の肩の力が少し抜けるような、そんな穏やかな選択肢を言語化していきたいと思っています。

具体的な生活の工夫や、迷ったときの判断基準などについても、今後少しずつ記事にしていく予定です。 でも、基本にあるのは「穏やかさ」を選ぶ、というスタンスです。


窓の外は、もう日が傾いてきました。 部屋の中が少し薄暗くなっても、彼女はまだ気持ちよさそうに眠っています。

そろそろ、夕ご飯の支度をする時間です。 彼女が目を覚ましたら、またいつものように、ゆっくりとご飯を食べるでしょう。

特別なことは何も起きない、静かな夕暮れ。 でも、これが今の私たちにとっての、一番幸せな時間です。

もし、あなたが今、愛猫の老いを感じて少し不安になっているとしたら。 その不安を無理に消そうとしなくても大丈夫です。 ただ、隣で眠る猫ちゃんの寝息に耳を澄ませて、今のその穏やかな時間を、一緒に味わってみてください。

きっと、それだけで十分なのだと思います。

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この記事を書いた人

40代の獣医師です。現在は企業で品質コンプライアンス(法令遵守)の責任者を務める傍ら、自宅で17歳になる愛猫(雌)の現役介護に奮闘しています。

「獣医学的な正論」だけでは解決できない、シニア猫との暮らしのリアル。専門知識を日々の生活にどう落とし込むか、そして飼い主としてどう心を守るか。

コンプラ担当らしい「論理性・誠実さ」と、飼い主としての「温かさ」を大切に、愛猫との時間が少しでも穏やかになる情報を発信しています。

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